絶妙な角度

外の世界はそこそこに精神世界で生きていこうと思考錯誤している若手農家です。興味のあるジャンルを徹底的に思い込みで執筆していきます。

この世の正体みやぶったり!!(かも)

科学的な知識と文章力が稚拙ですので、精神世界とか内面とか書き出すとどうしても胡散臭い宗教とかふわふわスピリチュアル的な文章になってしまって「うわ、、ヒロユキがやべーよ」となっていきますが、またここ最近で気付いた事を上げます。
世の中の成功者や人生楽しんでる人は知ってかしらずか、確実に以下の概念を用いていると思います。
変性意識入った時に編集しながら書いてるのでダラダラと長いです。
 
 
・「生」は、地球と大自然から人間を借りているという事です。つまり「体」と「思考」と「感情」をレンタルしている。「死」はレンタル終了って事です。
レンタル品は自分のものじゃありませんよね。じゃあ本当の自分って誰だっつー話ですが、それは「意識」。感じている自分、体験している自分、想像する自分です。茂木さん風に言うとメタな自分です。
人間ゲームをやりに、この地球にきてるんです。人間を使って感じられるあらゆる事を我々は体験しにきてるんです。
ダルビッシュはトミージョンやった時に右ひじに感謝の念をつづっていましたが、体は借り物ですので大切に使いましょう。
 
 
・内面(イメージ力、想像力)が外面(現実)に投影されます。イメージでワクワクすると、イメージした事とは違えど、形を変えたワクワクが外面に投影され ます。反対に現実的、ネガティブな思考パターンを持っている人はやっぱりその通りの外面が投影されます。。内面=フィルム記録、外面=フィルムの上映 会、ってなもんです。これ、自己観察してるとマジでそうです!素晴らしいシステムっす。
 
人間は1日で9万回も意識上、無意識上で思考するそうですが、いつもの思考パターンを内面で9万回もしたらそりゃ外面は何も変わりませんよね。
大人になるにつれて、みんな現実を見て想像力を使ってしまっていますので、外面と内面がくっ付いてしまっています。せっかくの想像力なのに、それをちっと もワクワクする方向に使ってないんです。成功してる人はネガティヴを受け入れて常に前向きにイメージしてワクワクしてるんです。
子どもの想像力は素晴らしい。ワクワクした想像力を常に全力で働かせていました。だから子どもの頃って今思い返しても楽しい思い出ばかりなんですね。
イマジンオーザピィーポォー、ジョンレノンは偉大です。想像の大切さを歌っています。想像は創造とも言えます。イマジンはめっちゃ大切です。
 
 
・瞑想。借りている人間の持つ思考システムの「自我」が放つ雑念やいつもの思考パターンを客観的に探れます。自我は現実主義でイメージ力を否定する側面を 持ちます。現実で生きてきて得た教えや経験を元に判断を下しています。人間を人間たらしめているのもこの自我のおかげで、「自我=外面主義」と「意識=内 面主義」って言えるでしょう。
瞑想は外と内のバランスをうまく整えましょうよって話なんです。
ちなみに瞑想が深まっていくと子供の頃の、心の声に否定されない超純粋な想像力が戻ってきますので容易にイメージが出来るようになるはずです。
達磨大師は瞑想でトリップし過ぎてハマりまくって手足が腐った、と言われるくらい人間は想像力に生きる事が出来るんです。
 
 
・苫米地博士が言う抽象度の高さ、高城剛氏が言う圏外ですが、瞑想の時間はどちらかというと内面のデフラグとフィルム記録で、主には日々の生活で体験する 事による思考と感情の動きを追っていた方が自己への気付きが多くなるかもしれません。これをやってると抽象度を高く持つ事の意味と、圏外がどんなものなの か分かってきます。あらゆる選択世界、パラレルワールドが混在するこの世で自分が全力で感情移入して参加すべき舞台はどれなのか、それが分かってきます。 圏外にいると自分が興味の有る分野と無い分野がハッキリしてきます。
出来事への無関心と客観視は紙一重です。
 
いつもの思考パターンを無理のない範囲で観察してみる。自分はどんな事を言われて胸がざわついてるんだろう、どんな事をされて腹が立っているんだろう、どんな事を嫌がって避けているんだろう、どんな事が心地良いと思えるんだろう、と。徐々にパターンが見えてきます。
そしてそのパターンは過去と現実から判断した自我が思考と感情を作り上げているのだ、と気付いていきます。ここに気付かないとずっと思考と感情がループし て堂々巡りになります。あまりに現状と掛け離れた事をやると一気にリバウンドするので、ちょっづつちょっとづつ、自我を可愛がりながら騙し騙しやっていき ましょう。
 
 
・人には役割があります。どんな人であってもです。みんな全力で人間ゲームを楽しむ為に役目を全うしています。ジョージアのCMでも「世界は誰かの仕事でできている」と言ってます。みんな繋がっています。
人間は皆どんな環境、どんな人格であれ、存在するだけで価値があるし、意味があります。どんなにネガティブ野郎でもポジティブ野郎でも、浮浪者でも、成功 者でも、です。みんな感情移入がヤバすぎる役者であり、その役目を全うしてるだけなんです。だから今の自分でオールオッケー。どんな幸せでも不幸でも今を 楽しむだけ。何かになろうとも思わなくてもいいし、なろうと思ってもいいし、やろうとしてもいいし、やらなくてもいいし、マジで自由です。
自分自身の今の立ち位置、環境は自分が味わいたいからそうなっているし、そこから何かを学ぶ為にそうなっている。
意識は本来、全てを想像できるし、創造できるんです。イメージを使えばあっという間に海外にも行けるし、めっちゃ高級な食事もできるし、仕事で大成功でき るし、皆とワイワイ仲良くできるし、世界が平和になるようにだって想像できる。アッチの世界じゃあっという間に想像した事が創造できる。
それじゃツマラナイから、不足の感情、思い通りにならない思い、何か失う悲しさ、そして陰陽の跳ねっ返り、カタルシスを味わう為に我々は人間を借りてこの 世に遊びにきたんです。ネガティブを味わいに来てると言ってもいいでしょう。「だからこんなんじゃだめだ」と自己否定したり「もっとやらねばならない」ネ ガティブを否定すればするほど、自我は嫌がりますが意識としてはアッチじゃ味わえない想いを体験できるのでめっちゃ嬉しいわけです。んでそういう鬱屈した 日々があるから、喜びや幸せが感じられるんです。
ネガティブの後には絶対にポジティブがきます。この世の法則の一つです。注意深くチェック。
 
 
・人生はもしかしたらシナリオ通りかも知れません。意識がコッチに来る前にアッチの世界で書いてきた台本があるはずです。あらゆる体験をこの制限世界で楽しむ為に。
人生って思い返すとびっくりするぐらい「うわーよくできてんな〜」と思いません?人によってはそのまま映画とかドラマにできそうなくらい。この年になってつくづく思います。
借りてる人間の持つ思考と感情が全力で日々に感情移入させてくるので、シナリオ通りだと中々気がつけないだけなんです。
でー、何で人って宗教とかスピを気持ち悪がったり、苦手とするのかというと、本質に気がついちゃうからなんです。気がついちゃうとツマラナイ。だから無意識層にそういう事柄を拒否して遠ざける機能があるんですね。
 
 
おれはオカルト好きで精神世界には好奇心旺盛なんでその機能は弱いみたいで、こうやって書くのが役割なんですな。
最近は抽象度が高く圏外の意味が分かってきたので幸せは感謝して楽しんで、不幸すらも感謝して楽しんでます。まだまだ感情と思考に囚われますが、不安や恐 怖や緊張を感じて避けてた事を、わざと突っ込んでいってやるとか、周りに流されずに嫌な事は嫌とキッパリ切ってみる、とか。結構実験してます。
あー、生きてるっていいなあ。