絶妙な角度

外の世界はそこそこに精神世界で生きていこうと思考錯誤している若手農家です。興味のあるジャンルを徹底的に思い込みで執筆していきます。

情報

ユーチューブなんかで興味のあるインタビュー動画とか対談動画って見てらんないわ。長くて。
ちょこちょこ良い事言ってんだろうけどそれだけを拾って要点だけテキストにまとめたサービスってあるのかな。
前にテレビでどっかの女の社長が時短の為に「映画は倍速で観る」って言ってたけど気持ちが分かる。
 
まー動画とか本とかテレビとかラジオとかネットとか人伝いとかの、あらゆる情報が皆んなの脳みそ入ってるわけだけど、それを人それぞれの視点でまとめてんのが講演会、ライターのお仕事、ブログとかSNSか。
 
自分から取りに行った情報、親しい知人からの情報、自分の価値観に共鳴する人からの情報なんかはめっちゃ頭に残るなあ。
情報度が10とする。知人から勧められてショートカットして情報度5くらいからスタートすんのと、自分の引っ掛かりで情報度1からスタートすんのとでは最後の満足度とか頭への残り方が全然違う気がする。(これはおれみたいな捻くれ者は特にそうだと思う)
 
ゲームする時に始めから攻略本読んだり裏技プレイするとつまらんのと一緒で、紆余曲折してゲットした情報(物とか高嶺の花の異性でも同じ事が言えますな)の方が満足感が高い。
子ども見てて思うもん。やって上げるより自分でやりたいんだな、と。
 
人は自らが苦労して得た情報ほど大切にしたいし、価値観とか信念とか、個やアイデンティティを構成する形にすらなる。
 
まーそこで人様の意見も聞いた方が良いとか聞かない方が良いとか、頑固者、芯がない人なんかの話になってくる。
人様の意見を聞いて流れに身を任せてもいい部分も勿論あるけど、肝心の舵取りは自分だからなあ。
どう考えても荒波に突っ込むのにそのまま流れに身を任す人はいないでしょ?いや、悟った人とか達観した人は何にもしないであえて荒波に突っ込む行く末を楽しむんだろうけど。
 
他人は自らのエゴの投影、つまり他人は自分自身で、現実世界は自分の内面を映し出した映画だ、と思って過ごしている最近なんですが、自らの内面のステージが上がれば、よりレベルの高い他人の意見や忠告が入ってくるんじゃないかと。
やっぱり「無意識」に鍵がありそうです。

この世は思い込みで出来ている。完全に。

目の前に広がるあらゆる全ては自分自身の内面が外面に現れたに過ぎない。悩みが多い人は新たな悩みを目の前に作り出し、喜びが多い人は新たな喜びを目の前に作りだす。
現実である外面が先だと思われるけど、実際は自分の意識、つまり内面が先なんですね。外面はおまけに過ぎないんです。
 
よって目の前の世界の捉え方次第で自分の思考パターンを知る事が出来る。悩みたい人は悩みが絶えず、楽しみたい人は楽しみが絶えません。まじでシンプル。
なので目の前の現実で自分の感情や思考を決めつけず、自分の精神世界を信じてみる。自分をルールにする。
悩みが自分を苦しめているのではなく、自分が悩みを作り出し、自分で悩んでいる。自作自演です。
 
最近「牛乳が体に悪い」という情報が出てきていますが、究極を言ってしまえば「そう思えばそうだし、そう思わなけばそうならない」だけです。
大切なのは潜在意識レベルでその情報を信じてしまわない事です。
さらに言えば「コンビニ弁当は健康になる」事が化学的(人は化学的な根拠や大衆の意見、恐怖や不安を煽る意見を信じてしまいやすい)に立証されたならば、それを信じて食べる人たちは絶対に健康になります。
だから「なんとか健康法」とか「なんとか成功法」とか、それを信じた人が健康になるし、成功します。

人々の思い込み=集団無意識が私たちの個々の潜在意識に染み込んでいます。それがこの世界を作り出している。
気が付いた人から「人生楽ありゃ苦もあるさシステム」からオサラバできます。

潜在意識の探求、めっちゃオモロイわ。

ダイズシストセンチュウを発生させるには

逆説的ですがダイズシストセンチュウを発生させるにはどうすればよいかを考えてみました。

1、マメ科を連作する。
緑肥を除き、主にマメ科の植物の根に寄生して養分を奪い、次世代を作っていくダイズシストセンチュウ。マメ科連作が発生させるキモでしょう。

2、土壌を単一化させる。
ルーチン化、パターン化された有機肥料、化学肥料の施肥で土壌微生物もワンパターンに。土壌内で生態系の拮抗性が無くなり、一人勝ち状態に。さらに一度センチュウが発生したパターンに沿ってその後も施肥していく事になるのでセンチュウは減りません。

3、過剰に施肥する
これが一番の要因だと考えています。有機肥料、化学肥料問わずに過剰な施肥はあらゆる病害虫の元です。化学肥料だからダメ、有機肥料だからイイ、というわけでは決してありません。
既に前記事で考察している通り、病害虫の異常発生要因は過剰な施肥(主にチッソ分)によるメタボ野菜が原因です。多くは農薬で抑え込んでいる為に病害虫の症状が出ないので気がつきません。

4、土壌を過乾燥させる
土壌の乾燥により適切に供給されていた地力チッソである有機体チッソが科学変化を起こし、欲求無視でどんどん作物に吸収される硝酸態チッソに。その時の生育環境により、作物は使い切れない硝酸態チッソアミノ酸が蓄積しメタボ状態に陥ります。(上記3とも兼ね合います)
乾燥により硝酸態チッソが枝豆に溜り、また水分量が絞られている為に光合成チッソ変換がスムーズに行えず体組織の構成も進まない。見た目とは裏腹にどんどんメタボ枝豆になっていきます。
ここに葉や軸にチッソ過多の兆候が現れ、病害虫がそれを嗅ぎつけ侵食が起こるわけですが、土の中でも同じ事が起こっていると推測できます。ダイスシストセンチュウはマメ科の根が発する特有の物質を頼りに寄生しますが、上記の条件により、過剰にその物質が根から出ていたとするとセンチュウを呼び込むには容易い。
今年の5月〜7月は土壌が乾燥気味でしたが、枝豆のダイズシストセンチュウが多発しました。土壌の過剰な乾燥は堂々とダイズシストセンチュウ発生要因の一つとして考えられます。

ではダイスシストセンチュウを発生させないようにするには?
・連作しない
・施肥の種類を増やして土壌細菌を豊富にし、土壌をパターン化させない。
・地力チッソを把握し、施肥を絞り込む。
・作り込まれている土壌の場合、チッソの硝酸化が怖いのでむやみやたらに乾燥させず適時潅水する。
・枝豆に適切な気温でストレスなく栽培する。

大切なのは最後、旬の野菜は旬の時期に栽培するのが一番土壌にも野菜にも、そしてそれを食する我々の体にも良いという事です。体を冷やしたり、温めたり、季節によって旬の野菜や果物というのは役割があります。(いくら体に良いからといってトマトを冬に食べるなんて体を冷やす大元です)
市場では我先にと季節外の野菜が早出し栽培され、それが高単価でもてはやされている現状があります。我々都市農家はハウスをフル活用してそのような市場の穴を狙って単価を上げていくしかありませんが、これは土壌を痛めつける要因に繋がります。
無理な栽培はやはり無理目な施肥や栽培技術が伴います。ここにダイズシストセンチュウだけではなく、あらゆる病害虫が発生する原因があるのではないでしょうか?

病害虫に関して②

害虫は施肥、特に窒素量が狂っている為に野菜が害虫を呼んで「食べて貰っている」事は窒素過多の枝豆や小松菜、空芯菜追肥の有無でもう理解した。
バランスを取ろうとするんです。野菜は。自分では手に負えないから病害虫を呼んで「侵食して貰ってる」んです。
害虫や悪玉センチュウはまさに農家の行いを忠告してくれています。
例えば枝豆は温度や水分量、窒素量にとても敏感な野菜で、悪環境であると土壌にある養分を上手く使い切れずに中途半端に成長していってしまいます。枝豆の体内に内在する硝酸体窒素や使い切れないアミノ酸は余分に残る。これが害虫の飛来や、センチュウ害に繋がっているのではないかと考察できるんです。
自分の産地ではハウスを利用した枝豆の早出し出荷が行われていますが、まだまだ外気が上がらないので丈が伸びない。そこで被覆したり、生育を盛んにさせる為に有機肥料や化学肥料を多投します。(あくまでうちの畑では)
まず間違いなくこれが害虫被害、特にセンチュウ被害に直結しています。枝豆は旬ではない季節に作れれた為環境ストレスに耐えられず、施肥した養分を上手く使い切れないんです。(それを上手くこなしている方もいるでしょうが)
出来は悪いが超高栄養状態である。こんな不自然な野菜は人間の手でしか作り出せません。
これが害虫やセンチュウを呼び込む悪状態に繋がっているわけです。


 

病害虫に関して

エゴや感情も同じなのですが、ある事象を否定し、無理やり消し去ろうとすると反対にはそれと同じ拮抗するエネルギーが生じます

土壌も全く同じ。
例えばダイズシストセンチュウと呼ばれるマメ科に寄生するセンチュウがいますが、土壌燻蒸剤などの劇薬で抑えてもいずれまた被害が復活し、イタチごっこをする羽目になります。
なぜか?
センチュウは害である、とその存在、自らの手による必然だという事を認めず、徹底的に農薬を利用して排除しようとしているからです。しかしその結果、シストセンチュウがさらに農薬に対して抵抗性を持ち、挙句には取り返しのつかない事態に陥ります。
最近D-D剤が悪玉センチュウに対して極めてその効力が薄くなっている事を当農園でも実感しているので、早急に見直し対策が必要。

実はセンチュウは何万、何億と種類があるらしく、生態も詳しくは分かっていない。あらゆる微生物や菌類を分解したり、土壌を豊かにしたり、センチュウ同士で寄生したり食べあっていたり。
しかしその内、野菜に対して害を与える悪玉個体は非常に少ないと言われています。
ならばなぜ少ないと言われる悪玉個体であるダイズジストセンチュウやネコブセンチュウ、ネグサレセンチュウが野菜に被害を与えるのか?
つまりこれは土壌内の環境が極めて、"極めて"単純化している為に起こる"必然"なのではないか、という事です。
センチュウ同士で拮抗していた絶妙なバランスが、人間の手によって崩されている、という事です。(ここらへんは佐賀大学で日本で唯一センチュウの研究を詳しくしているらしく、いつか機会があればお話を伺い所です)

センチュウだけではなく、あらゆる病害虫もそうだと言える。
ルーチン化されたたい肥の施肥、化学肥料の施肥、農薬散布、これを我々がこだわればこだわるほど、反対にある一定の勢力が強くなる。ここでいう病害虫ですね。エネルギーは決して片一方づきません。
新たな農薬を散布、すると病害虫は抵抗性を持つ。それに勝るさらに違った農薬が必要になる。化学肥料で土壌は興奮状態になる。段々と土壌が単一化していく。それに勝る肥効が強い肥料を投入する。こうなると本来の自然のバランスを取り戻せない、農薬や化学肥料で補う事でしか農業を実現できない末期的な土壌環境になっていきます。
化学肥料、農薬無しでは野菜を作れない農家になってしまう。
まるで「覚せい剤」です。それ無しではいられない。
「今すぐ化学肥料や農薬を辞めろ?嫌だ!不安だ!」… 禁断症状。



他人を批判、非難する本当の意味

 伊集院光さんが自由奔放な蛭子さんについての考察で「蛭子さんを安易に批判、非難できない。なぜなら自分の未熟さとか自分の見たくない抑圧している側面とか、あらゆる自分の負の部分が批判とか非難をする事で浮き出てきてしまうから」と言っています。

 他人を非難したり批判する意味、まさにこの通りだと思います。
 あらゆる人や物、自分の見ている世界は自分の一部だという事は決まっていますが、自分の抑圧している部分が強ければ強いほど、他人の性格や行動に投影され、批判したくなる。
 「オシャレを頑張れば頑張るほど、ダサい人を否定したくなる心理」「勉強を頑張れば頑張るほど、安易な考えの人を否定したくなる心理」といえば分かりやすい。
 誰かへの、何かへの非難や否定の裏には必ず自分のありのままを演じられない、自分への無理が生じた心理が隠れています。
 自分の中で抑圧した想いを認められずに自己否定しているから、他人をも否定する。
 
 そして「他人を批判、非難しないようにしよう」とありのままを意識的に抑圧するのもちょっと違います。そうする事によって例えば友人が誰かを非難したり批判している話を親身に聞いているつもりになって、その実は友人を使って自分の批判や非難の抑圧した心理を代弁して貰っている状況を創り出す事に繋がります。
 言い方は冷たいですがまさに「負け犬の傷の舐め合いコミュニティ」を形成する事になる訳です。

 だからそう思っている自分を否定したり責めたり抑圧してはいけないという話になってきます。ひたすら自己観察して常に「今ここ」で自動ヴィパッサナー瞑想状態、つまりは「ありのままを観察している自分」にいる。
 そしてそれが自分で自分のあらゆる行動を自己否定や自己嫌悪せずに許す事に繋がっていきます。
すると誰かや何かへの、自分の中のあらゆる批判や批判の観点は消えていきます。矛盾するようですが、非難したり批判してもいいんです。ただそれを自己否定や自己嫌悪せずに気がつくだけ。
 
 なのでセクハラやテレビ番組なんかの下ネタに非難したり、あまつさえクレーム入れちゃう人は無意識裏では本当はドスケベなんですね間違いなく。
 自身の内側の世界に抑圧している部分が、その抑圧している分だけ外側の世界に反映されて事象が現れますので。

非難や否定、ネガティヴな念が出たら気付きのチャンス。

情報と洗脳

 人は例えば無意識に行っていた事や無意識に食していた食べ物が「実はもっと良い方法があった」とか「実は体に悪い事だった」とする情報が入るといとも簡単にその情報に洗脳されてしまう。
 「その代わりにこうすればもっといいですよ。こうすればもっと体に良いですよ」といった情報を入れてあげるともはや宗教の体系になり、洗脳された信者が完成される。
人を動かしたいならば既存の価値観を揺らがせる情報をストレートに対象者にぶち当てれば良い。
 最初は「そんな事はない」「何を言っているんだ」と相手の持つ自我やエゴに否定されるだろう。しかしながら無意識には反対の意味が入り込む仕組みになっているので、否定されればされるほどその否定した分だけ、与えたい情報は相手の無意識に入り込んでいく。そして相手に否定させた分だけこちらの要求が通りやすくなる準備が出来上がる。

 さらにこれを「ヘーゲル弁証法」に応用すれば相手を意のままに操る事が理論上は可能。マスコミはこれを使って覚醒していない国民を操っていく。
 例えばテーゼ(命題)を掲げ、それに対してアンチテーゼ(反命題)が起こる。そしてジンテーゼ(テーゼとアンチテーゼの統合、解決策)で答えが出る。
 つまり「ある出来事を決めたい時にはわざとマスコミやネット使って勢力を煽って(テーゼ)、問題を大きくして(アンチテーゼ)、はいはいじゃあ着地点はここにしましょうね、異論ないでしょ?(ジンテーゼ)と前段階を踏む」法則というわけだ。

 話が少し逸れたが、これからはこういった情報教祖様、情報信者の構図がより増える世の中になると考えている。
 自分の宇宙を確立し、相手の宇宙にノまれない(気付いているならあえてノまれてもいい)ような気付きが必要になってくる。
 その為に常識や習慣に疑問を持つ事が大切になってくる。